深海航行記

海流の行き着く先

『リズと青い鳥』感想・考察 少女たちは遠き空へと羽ばたく

はじめに

「えもいーー!」が最近の口癖。世のえも成分を余さず摂取していきたいと思う今日この頃。 えもいと言えば昨年公開の『リズと青い鳥』。『リズと青い鳥』といえばえもい。というわけで、山田尚子監督作品、『リズと青い鳥』のBlu-rayを購入ました。あまりのえもさに感銘を受けたので、いまさらながら感想を文章として昇華します。関係各位に圧倒的感謝。
みぞれも希美も本当に強くて美しい人だよ……ということを伝えたい。

ざっくり感想

圧倒的えもさ

極めて濃度の高い映像作品。 登場人物の一挙手一投足、何気なく置かれている一つ一つの静物、背後に鳴る音楽、取り入れられた様々な表現技巧。映像上に載せられるそのすべてによって物語が表現されている。だからこそ、私はこの作品を前にひと時も目が離せないし、一切の雑音を立てられない。
本作にダイナミックで明確なストーリーラインはない。そこを評して「静的」な作品と表現されることも多いと感じる。だけど、見事な映像で表現された揺れ動く感情は大波を生み出し、鑑賞していると心の中で何か熱っぽいものを感じずにはいられなかった。その意味で、私には熱情的で動的な作品に感じられた。

美しく、残酷な青春

物語の中核をなす希美とみぞれの物語。アニメーション作品では曖昧な形で表現されていた、ふたりの関係の非対称性に焦点があてられる。希美にとってみぞれは多くの友だちのひとり。でもみぞれには希美しかいない。 ふたりが織りなす物語は、美しい映像表現の背後でどこか悲しく、残酷な青春の1シーンとして炙りだされている。
『ユーフォ』シリーズにも共通するけども、こうした「キラキラしていて爽やか」、だけでない青春の描写はとても好き1。私もあまりイケイケな青春を送れなかった質なので、なんとなくその表現に同族意識を覚えるのかもしれない。

さて、徐々に核心的な話を書いていきます。以下ネタばれ注意。

束縛と解放

「解放」へ向けて

本作品の大きなテーマは、束縛と解放。リズと青い鳥の原作を読む希美とみぞれ。ふたりは物語を自分たちに重ね合わせる。孤独な少女リズはみぞれ、自由な翼をもつ青い鳥は希美。リズは青い鳥との暮らしを喜ぶが、最後には、青い鳥を自由な大空へと羽ばたかせる。みぞれは青い鳥を逃がすリズの思いがつかめず、演奏に力が乗らない。 でも本当の青い鳥はどちらなのか?これは、少女たちが遠き空へと羽ばたく物語だ。

束縛のモチーフ、学校、水槽

本作品には様々な「束縛」の表現が登場する。まず、学校。もちろんみぞれも登下校するし、あがた祭やプールに行っているわけで、外の世界にも出るのだけど。でも映像に映されるみぞれは、常に学校の中にいる。みぞれは学校という大きな「鳥かご」に閉じ込められ、はばたくことができない。希美によって束縛され、外の世界へ行くことができない。そんなみぞれを、舞台そのものによって表現されている。ある意味、束縛されているのはみぞれ、ということは、最初から学校によって表現されていた。
でも、学校が鳥かごっていう感覚ってどれくらいの人に共有されているんだろう……。だけどこういうとらえ方は僕の琴線に触れる。山田監督ありがとう……。

もう一つの鳥かごは、生物学教室の水槽だ。こちらは学校とは少し意味が異なる。水槽の中にいるフグを飼育するのはみぞれ。また、この行為について希美に「リズみたい」と言われたときに、みぞれは「うん」と返答する。ここでフグを閉じ込める主体はみぞれとして表現されている。したがって、水槽は、いまだ自分が「リズ」であり、「青い鳥」=希美を逃がせないと考えるみぞれの心象風景を示していると読み取れる。フグに餌を与えている間、みぞれは青い鳥を逃がせない。

鳥かごから外の世界を見る

物語のうえで重要な役割を果たすのは、剣崎梨々花さん。圧倒的にいい子。
鳥かごの中に閉じ込められているみぞれ。そんなみぞれに外の世界を知らせる存在が梨々花だ。彼女はみぞれに対して、あの手この手でアプローチを試みる。最初は「私といても楽しくないから」、と拒否を示していたみぞれであったが、物語の進行とともに徐々に心を開くようになる。

梨々花のためにリードを削り、梨々花と練習曲を合わせる。そして、ついに希美のプールの誘いに対して、梨々花を誘う。みぞれの世界は梨々花の存在によって広がっていった。
私にとって印象的だったのは、梨々花がみぞれに対して一緒に行ったプールの写真を差し出すシーン。 みぞれが鳥かごの中にいる間、学校の外側の世界はほとんど描かれない。ラストシーンを除けば唯一現れるのが、このスマホの写真。
このシーンで、梨々花はみぞれに「外側」の世界を教える存在として描かれていることが表象されているのではないか。 みぞれにとって、外の世界を知れることは、私たちにとって望まれるべきことだろう。しかし、彼女の登場は、希美とみぞれの関係を変えるものでもあった。

束縛していた/されていたのはどちらか?

自分でも自覚しないうちにみぞれへ依存していた希美。梨々花とみぞれの関係が深まり、みぞれが外の世界を除き始めると、希美は自分でも処理できない嫉妬の感覚を覚える。そして、決定的瞬間が訪れる。新山先生が音大に誘ったのはみぞれだけだった。
そのとき、希美はみぞれが羽ばたけないのは自分がいるからであり、知らず知らずのうちに束縛していたことを悟った。ひとり藤棚の下で呟く。「どうして鳥かごの開け方を教えたのか」と。
同時に、みぞれも新山先生のアドバイスで、羽ばたくヒントを得る。今は、自らが青い鳥。青い鳥は、リズへの愛ゆえに、はばたく決意をしたのだと。

そして訪れる演奏のとき。大空へ向かってはばたく青い鳥。希美は明らかな技術の差に気づく。何とか吹ききるものの、フルートを構えることすらおぼつかなくなってしまう2。 演奏が終わり、あの生物学教室のシーンが訪れる。

「みぞれのオーボエが好き」- 鳥かごを開けるとき

みぞれからの熱烈な「大好きのハグ」への希美の答えだ。その言葉は、決してみぞれが望んだものではない。みぞれからすれば、精いっぱいの告白だった。みぞれから見れば、あるいは静かに見守っている私たちから見ても、明確な拒絶である。
また、希美にとっても、みぞれの才能に対する持たざる者の嫉妬の言葉。みぞれを突き放す言葉。あるいは、いつまでも彼女が欲しい言葉を言ってくれないみぞれへの精いっぱいの返事だ。このシーンは、彼女たちの心情から考えれば、悲しい失恋、あるいは訣別と言えそうだ。
しかし、それでもこの言葉はもう少し前向きに解釈できる。

希美はあの言葉によって、みぞれを解放した。それまで希美は、みぞれを鳥かごの中に閉じ込めていた。そして生物学教室のシーンではもう、「鳥かごの開け方」を知っていた。 青い鳥は飛び立つ前、決してリズとの別れを望まなかった。もしもリズが、やっぱり行かないで、と言えば青い鳥の大空への飛翔はあり得なかった。みぞれ(=青い鳥)も同様に、希美のそばに居たかった。もしもあのシーンで希美(=リズ)がみぞれの告白に応えていたら、やはり、みぞれは鳥かごのなかにいるままだ。

希美はみぞれの飛翔を妨げることを望まない。みぞれを無意識に閉じ込めていてはいけない。みぞれはその自由な翼で大空へとはばたくべきだ。希美は「みぞれのオーボエが好き」によってこのことを宣言した。大空に飛び立つべきだ、と。希美の言葉は、鳥かごからの解放だ。みぞれのオーボエは解き放たれるべき自由の翼……。

みぞれも、鳥かごを開けた希美の決断を「止められない」。もちろん「青い鳥は幸せだった」かはわからない。でも飛び立つしかない。だってみぞれは希美のことが好きだから。「それだけは本当」だから。

……書いていて涙腺が緩くなってきた。でも、希美ってとてつもなくいい子ですね。あんな明確な実力差を見せつけられて、楽譜に「はばたけ!」なんて書けますか。書けないよ。僕は書けない。まさに「愛ゆえの決断」。

大空へ

希美はみぞれを解放し、みぞれは大空へとはばたく決意をした。ふたりは別々の世界へと歩みだす。みぞれは音楽室へと向かい、楽器の練習へ。希美は図書室で一般大学の受験勉強を始めた。でもそれは、ふたりにとって不幸な別れではない。幸せになったか、はやっぱりまだわからないけど、でも二人とも次の段階へと確かな一歩を踏み出した。みぞれは確かに羽ばたきだした。そして、「愛ゆえの決断」ができる希美も、やはりいつの日か大空へと羽ばたけるのだろう(次の章参照)。

物語のラストシーン、これまでずっと学校という鳥かごに閉じ込められていた世界は、学校の外の世界へ初めて移行する。束縛されていた世界は解き放たれ、自由な大空へと羽ばたいていく。このシーンは涙なしでは語れない。泣いてます。

「幸せ」について

無意識ながらみぞれを解放できない希美。そして希美が好きで離れられないみぞれ。二人のどこか奇妙なかみ合わせによっていまの関係性は成立していた。それって幸せなの?? でも幸せって何か、なんて自明には決まらない。才能があってもそれを生かすことばかりが幸せではない。もっと自分にとっても相手にとっても、大切なものだってあるはずだ。だからこそ、覚醒前のみぞれは青い鳥を逃がせないと考えていたわけだし。

でも、希美は最後に鳥かごを開ける決断に向かう。自由に羽ばたいていくみぞれに目が行きがちだけど、希美もすごい人だと思うんだ。希美はみぞれのことをずっと大事に思っている。みぞれが梨々花を誘っていいかと聞くと、顔を曇らせた。「よく覚えていないんだ」と言いつつ、彼女たちの出会いを鮮明な記憶として大切に保存していた。でも希美は、みぞれの幸せのために、大空へとはばたかせる。これはすごい勇気だと思う。たぶん、僕にはそんなことはできない。大事な人をどうして逃がすことなんてできようか。

もちろん、希美の意思=「束縛からの解放」が「幸せ」をもたらすかはわからない。実のところ単なるエゴかもしれない。それでもやっぱり希美の愛や勇気は本物だと思うし、きっと彼女はこれからもっと強く、美しくなっていくのだろうなあと、思ったわけだ。希美にもきっと大空へと羽ばたく日は来るはずだ。

その他言いたいこと

黄前さんが好き

黄前さんがかわいいのである。 元のアニメシリーズから私は黄前さんのことを愛してなやまない。表面的にはとても上手にふるまいつつ、その実性格が悪いところなど、本当に魅力的で素晴らしい。それでいて、「特別」なるものの熱情に侵され、自らもその域へと到達しようとする姿勢。好き。
リズと青い鳥』は『響け!ユーフォニアム』とは別作品として描かれている(と私は認識している)ため、黄前さんの出番は少なく、みぞれの後輩の一人として描かれている。

しかし、その中でも今回の黄前さんは全く新しい姿を私たちに見せてくれた。なんだろう……。京アニスタッフ陣による線の美しさ、かわいらしさも、声優・黒沢ともよさんによる相変わらずのよそ行きのトーンも……。なんか、こう…… ネコ っぽい。はい、やめます。私はずっと黄前さんは攻めだと認識していたけども、今回の作品を見て受けもありかもなと思いました。まる。

高坂さんとの絡みも素晴らしかったですね。校舎の裏で奏でられたのは、希美とみぞれのそれとは明らかに違う、美しく、それでいて強いメッセージの込められた協和音。言葉などいらず、二人の間の「特別」で結ばれた強固であり、なおかつ儚い関係性。黄前さんと高坂さんの愛を確かめ合う行為を見せつけられたひと時だった(本人たちは希美とみぞれに聞かせようとしたのだろうけども)。
また黄前さんの活躍がみられるかと思うと春公開の映画が楽しみで仕方ない。春までは生存したい。

額縁のような音楽

吹奏楽部を舞台にした作品だけに(それが本作のメインテーマではないものの)、劇中音楽も素晴らしかった。
絵画作品が納められる額縁は、それ自体が美しく、一つの芸術作品である。しかし、決して主役である絵画の邪魔をせず、むしろ引き立てる役割を負っている。らしい。この作品における音楽はまさにそういう役割を体現していた。集中して聞けば、どの音楽も美しく繊細で、音楽作品として自立している。にもかかわらず、登場人物たちの紡ぐ物語に溶け込んでいて、私たちの意識には登場しない。それでいて、私たちの感情のふり幅を増大させている。

校舎を隔て、希美とみぞれがフルートの反射で遊んでいるシーンの音楽は特にそう。あそこで流れる音楽は、音楽担当の牛尾憲輔さんが作品コンセプトを聞いてすぐ作曲された楽曲という(リズと青い鳥、スタッフコメンタリより)。単体で聞いても切実な差し迫る感情にに満ち、美しさの中に不穏さを孕んだ素晴らしい音楽だ。しかし、映像に乗ると、少女たちの奏でるかみ合わなさとその切なさを表現しつつも、決して強い主張はしない。あの画面の向こうから覗き見るのもはばかられる重要なシーンを、より繊細で象徴的な一場面へと昇華させている。

音楽といえば、「リズと青い鳥」そのものもすばらしい楽曲ですね。本当に1アニメ作品の劇中曲のためだけに作られたのか、というクオリティ。圧倒的才能。 完全にクラシック音楽。本編では第3楽章がメインで使われるものの、第1から第4楽章まで作曲されている。孤独な少女リズと青い鳥の出会いから別れまで、あまりに多くの情景がこめられた名曲。風の音の表現にウィンドマシーン(楽器)が使われるなど、現代音楽的な表現が取り入れられていて、音楽的にも面白い。サントラを買おう。

まとめ

リズと青い鳥』はいいぞ。いや、まじで。名作、という評価を惜しまない。ラストシーンで初めて学校(=鳥かご)から出ていく演出で泣き出し、その直後に初めて二人の歩くテンポがあった瞬間に号泣した。束縛から解き放たれたふたりは、高校を卒業したらたぶん、会う機会はほぼなくなる関係性になるだろう。でもあの瞬間ぴったりと合った、互いに素の数どうしの公倍数を見つけた瞬間は、「それだけは本当」だから。大空へと羽ばたく少女たちの行く末に光あれ。


  1. 青春のどこか残酷な感じと映像美を掛け合わした表現は、岩井俊二監督作品なんかにも共通するところがあるなあと感じた。『花とアリス』とか『リリィ・シュシュのすべて』とか。映像論の知識があればこのあたりの考察をすると面白そう。ああ、知識と教養がほしい。

  2. 観ているときはあまり意識しなかったけど、演奏している方も演技されている、ということですよね。本当に作りこまれた作品だ。