深海航行記

海流の行き着く先

ビールストリートの恋人たち 静寂と美、隠された怒り

オリジナル・サウンドトラック『ビール・ストリートの恋人たち』

オリジナル・サウンドトラック『ビール・ストリートの恋人たち』

  • アーティスト: ニコラス・ブリテル,Nicholas Britell
  • 出版社/メーカー: ランブリング・レコーズ
  • 発売日: 2019/02/20
  • メディア: CD
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美しく鮮やかに切り取られた映像。抑制的で上質な演出。零れ落ちる生々しい感情表現。 ラストシーンで映し出される原題『If Beal Street Could talk』は、私たちの心をあまりに的確に突き刺す。 よい映画を見た・・・。 本作は、あまりにも純粋な恋愛映画であるが、決して人種差別への憤りを隠さない。 そうした怒りは、美しく、抑制的な演出の中で静かに表現される。

恋愛の普遍性と人種問題の特殊性

舞台は1970年代のニューヨーク。しかし、この映画からは必ずしも「古さ」を感じさせない。むしろ、今でも強いリアリティをもって、私たちに語り掛ける。本作で語られる出来事は歴史上、かつてあったことではない。現在においてもかつてから変わらずに起きている出来事だ。筆者には、現在にあって、1970年代を舞台とした監督の意図に、強い皮肉を感じられた。

ただ、だからと言って本作が描くのは、黒人が直面する現実に対するストレートな怒りばかりではない。 前作『ムーンライト』にもみられるように、本作は、映画的な演出を加えながらも、問題の複雑さをありのままに伝達しようとする。 人種差別は単なる人種間の対立に矮小化することはできないし、経済、ジェンダーや宗教といった他の要素が強く絡み合う。 黒人 v. 白人のような二項対立的な捉え方は、問題の本質を見失い、根深さを捨象してしまう。人種差別を問題視するときに、差別者をカテゴラズしてしまう見方は、自らも人種差別の枠組みに嵌ってしまうことを意味する。 本作は問題の複雑性から目を逸らさない。卓越した構成力のもと、ともすれば抽象論に陥ってしまう問題の複雑さを、高いリアリティを持って観るものに語りかける。 例えばフォニーを陥れる巨大な差別構造が厳然と存在する一方で、若いふたりをサポートする白人たちが印象的に描かれる。決して白人は悪魔ではなく、グラデーションが存在することが明示的に表現されている。

本作が優れているのは、差別の問題を恋愛という普遍的な枠組みで語る点だ。
私たちは恋愛というプライベートな問題と、政治や社会といったパブリックな問題は、どこかで区別して捉えようとしてしまう。 しかし、本作は観る者のそうした見立てを拒否する。 人種差別をふたりの純粋な恋愛の障壁として描くことで、観る者に当事者性を与え、人種差別への憤りを喚起する。

抑制的な映像表現と、感情的な演出

映像の美しさに舌を巻く。黒色が美しく表現できるように彩度を高めた画面。 暖色を贅沢に取り入れた衣装や、光の差し込み。決して動きの多い作品ではないが、取り入れられた色遣いや、採光の巧みさに支えられた演出は、感傷と心情の揺れ動きを語る。 例えば、映画のプロモーションにも使われた、フォニーとティッシュが雨の中、ひとつの傘をさして町を歩くシーン。 降り注ぐ雨は街を濡らし光を滲ませる。ふたりの頭上には鮮やかに花開いたかのような赤い傘。 世界の中でふたりだけが照らし出され、彼らの愛の物語の始まりを予感させる。 本作は、展開されるすべての場面が美しく、その彩に魅せられた。

登場人物たちの表情は、直截的に観る者の心に語り掛ける。 フォニーの「魂の救済」のためにティッシュの母が見せる決意の表情。レイプ被害にあった女性のおびえたような表情。 贅沢な長尺で切り取られた俳優たちの「見つめる」演技は、慄きすら覚える迫力を持つ。 あまりに多くを語ることに抑制的な本作だが、登場人物たちの表情のショットは、極めて多くのことを観る者に伝達する。

『ムーンライト』に引き続き、複雑な黒人社会を、巧みな映像表現で叙情的に撮影した本作。 その美しさと静寂と、深い感情表現に心打たれた。